| ★感謝の気持ちを持って生きるということ
題名がおおげさになってしまったけれども、バリの空気や人々の生活、何を大切にして生きているかということに触れて、改めて考えさせられたことだった。
バリの人達は、神々や自然に対して常に感謝の気持ちを表しながら生活しているように感じた。私たちが物事に感謝していない、ということではなくて、常日頃から行動で表す生活を(私は)送っていないから、はっとさせられることが多かった。
毎朝神様に供えるための花を摘み、お供えを作り、香を焚いて祈りを捧げる人々を見るたびに、なんだかすごくしんとした気持ちになって見ていた。
形は違っても、自分は日常の中で、何かに感謝を表して生きているだろうか。人として当たり前の事を、忘れがちに生活してはいないだろうか。抵抗なく心から素直に感謝を表すことが、一体一日に何回あるんだろうか。一ヶ月に?一年に?思い出せない。
話はそれるけれども、一度衝撃的な事件があった。忘れもしない、キンタマーニ高原でのお昼時だった。同行していた友人が、お店のトイレの蓋を割ってしまった。本当に不運な事故だったのだけれど、真っ先に私の頭に浮かんだのは「弁償!旅行保険会社に連絡!どこで連絡できる?お金は何のお金で払えばいい?請求は旅行代理店を通じて来るの?」
青ざめて慌てる我々がお店の人に話しても、おじさんは難しい日本語は通じない。我々の英語も通じない。どうしようどうしよう。でもおじさんは「No Problem」。
そんなわけはないだろう、と思っていたのに、実際ノー・プロブレムだった。
あまりにパニくっていたので細かいことは覚えていないのだけど、後でガイドさんが店の人と話して、私たちに伝えてくれたことはこんな事だったと思う。
「物が壊れるのは仕方がない。わざとやったんじゃないんだから。日本では壊したらお金で弁償すると思うけど、バリの人はそうしない。人に対していいことをすれば自分に必ず返ってくると信じているから、間違ったことをしても許します。」
なんだかものすごく自分が恥ずかしかった。
償い=お金で、という発想しか持っていなかった自分が。
ここで大事なことは、壊れたものを元に戻す、ということではないのだ。
人の過ちを許すという寛大な気持ち。
一介の観光客にすぎない私たちにも、そういう気持ちで接してくれたのがありがたかった。
そう考えると、普段の自分は小さなことにもいちいち腹を立て、自分や他人の過ちに対してあまりに過敏になっている気がした。恥ずかしかった。
この事件は雷に打たれたようなショックであった。
「たまたまいい人にあたってよかったね」と言われるかも知れないけれど、バリの人達の考え方に直に触れた事件でもあった。
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